社名の由来を調べてみました!

社名の由来



森永製菓〜羽ばたく天使〜

ほとんどの日本人に馴染みのある菓子メーカーのロゴは「未来へ羽ばたく天使」を描いた森永製菓ではないでしょうか。

 

もともと久谷焼きの販売を手がけていた創設者の森永太一郎でしたが、西洋菓子の魅力に惹かれ渡米し、11年間菓子作りの勉強をしました。お馴染みのマークは明治38年にできましたが、その時は天使が、創設者である森永太一郎のイニシャル「TM]を両手で握っているものでした。

 

日本に帰ってきた森永は、九谷焼の販売をするための店舗予定地を菓子販売の場所にして、菓子作りを始めました。しかし日本では、アメリカで得た製造法で作ったキャラメルは保存状態や味が受け入れられず、バターやミルクを減らしたり、小さくしたり、箱入りにしたり・・・と試行錯誤を繰り返し、やっと好調な売れ行きをするようになったのです。

 

マークにエンジェルを使用したのは、当時主力製品だったマシュマロが米国では「エンジェルフード」と呼ばれていたことから使用しました。現在7代目で「未来へ向かって羽ばたくエンジェル」というコンセプトで描かれています。

宝酒造が宝とするのは「穀物」です。焼酎は穀物から作られるわけですから、焼酎を扱う会社にとって確かに宝といえるでしょう。宝酒造の創業は江戸時代後期の天保13年にさかのぼります。京都の伏見で四方家4代目卯之助が酒造権を得たことに始まります。そのときは清酒製造でしたが、明治に入ってすぐみりんと焼酎の製造販売を開始します。実際に「寶(宝)」ブランドで焼酎を発売したのは大正元年で、連続蒸留器を使用した新式焼酎でした。この画期的な方法で、高品質の焼酎を全国で発売し、好評を博した宝酒造は大きく発展を遂げましたが、昭和に入ってからは「メチルアルコール事件」で焼酎の人気が落ち、販売できない状況に陥ったり、日本が戦時下になるなど様々な逆風が吹きました。そういったなか、軍需用アルコールを作ったり、合併を何度も繰り返したりして事業の安定をはかってきました。昭和60年には、現在も使用されている「正三角形上におかれた3つの大きな円と小さな円」をコーポレートマークにして更なる発展をとげています。

続きを読む≫ 2009/05/15 21:50:15

サントリーは「鳥井商店」として明治32年に鳥井信治郎が創業し、ぶどう酒の製造販売をしたのが始まりです。

 

そして明治40年には「赤玉ポートワイン」を発売しますが、まだ会社としてのマークは無く、商品ごとのブランドマークしかありませんでした。大正10年には「株式会社寿屋」を創立し、いよいよ国産ウィスキーの製造に踏み出します。そして昭和4年に日本初の本格ウィスキーでもあり、後に一部が社名となる「サントリーウィスキー白札」を発売します。昭和5年には念願のビール事業にも着手することができ「オラガビール」を発売、同じ頃にブランド名を「サントリー」に統一しました。

 

戦争で発売を見合わせたりする時期もあったものの、「角瓶」や「トリス」「オールド」を発売し、昭和30年には東京や大阪を中心としてウイスキーバーを誕生させるなど、サントリー文化は順調に広がり、定着しつつありました。しかし、意外なことにあの有名な「向い獅子」のマークができたのは、昭和43年で、翌年の創業70周年を記念して会社のマークを制定しよう、というのがきっかけでした。平成2年、平成16年とロゴのデザインを変えつつも「人と自然と響き会う」「水と生きる」を変わらぬ企業理念として、自然環境保護やエコにも力を入れています。

続きを読む≫ 2009/05/15 21:49:15

明治中期の日本はビールブームに沸いていて、百を越えるビール会社がありました。麒麟麦酒の創業は、一度閉鎖された工場を在留外国人のグラバーをはじめとする何人かで再建したことが始まりです。

 

新会社は「ジャパン・ブルワリー」と名づけられ、グラバーら外国人だけでなく日本の財界人も株主となりました。明治21年にはドイツ風ラガービールを「キリンビール」のブランド名で発売しました。当時のビール会社は、西洋の慣習にならって「狐」や「亀」など動物のブランド名を使っていましたが、同じようなものではつまらないと考えたのか、荘田平五郎の提案で、中国の伝説に出てくる空想の動物「麒麟」をブランド名にすることにしました。

 

今ではすぐ目につく「麒麟」のマークですが、初代は「麒麟」に見えずらかったようで、明治22年には描きなおされ現在のマークの原型となっています。途中、戦争の影響で商標を変えたりしたものの、昭和24年に復活し、昭和59年には正式社名として「キリンビール」を表記するようになりました。

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明治九年に明治政府が北海道開拓の1つとして掲げたのが「開拓史麦酒醸造所」の開設でした。これは、政府に雇われて北海道の地質調査などを行っていたトーマス・アンチセルが、野生のホップを調査中に発見し、「国産のビールが造れるようになるだろう」と進言したことによります。1年後に発売された「札幌ビール」のラベルには、開拓史のシンボルである「五稜星(北極星)」が使われました。明治19年に北海道庁が設置された際、製造所は大倉喜八郎に払い下げられ、名称も「札幌麦酒醸造所」と改称します。「開拓史麦酒醸造所」時代から使われている「星」のマークは、130年たったいまでも古臭さを感じさせることなく使用されています。平成元年から14年間使われたコーポレートマークは「楕円」なので、「星では無いじゃないか」とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれませんが、それも「ギャラクシー(銀河)=星の集合体」を表しているのです。それと、楕円の下に表記された「SAPPORO」の「A」が★なってましたから、やっぱり単体の「星」も使われてますね。平成15年からは「★」の下に英語表記で「SAPPORO」がコーポレートマークになっています。

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明治22年、アサヒビールの前身である「大阪麦酒会社」が設立されました。その後「大日本麦酒」を経て、昭和24年に山本為三郎が初代社長に就任し「朝日麦酒」として再出発しました。

 

明治25年に「アサヒビール」の銘柄で発売したときのラベルが、その後も長い間親しまれ続ける「波」に「朝日」のマークです。このマークにはアサヒビールの創業の精神がこめられていて「日本(日いずる国・朝日)人の手で作った純国産ビールを(波に乗せるように)世界へ」といった意味合いのようで、世界に通用するビール製造が目標でした。

 

その努力の成果はその後、万国博覧会などで最優秀賞をとった事などでもわかると思います。その他、本格的なビアホールを作ったり、日本初の瓶入り生ビールや缶入りビールを作るなど、日本のビール業界の先駆者的な役割を担ってきました。現在のマークは、昭和61年に社内改革の一端として行われた新デザインにより「波と朝日」は使われていませんが、英字表記になったロゴマークからは、常に挑戦を続ける姿勢や躍動感、風格がうかがえます。

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エースコックはもともと、昭和23年に村岡慶二が「龍門製パン所」として創業したパンの製造業者でした。昭和29年には大阪で「梅新製菓」というビスケットの会社を興します。5年後の昭和34年には、畑違いともいえる即席めんの製造に乗り出し見事に参入を果たしました。こぶたマークを商標登録したのは、ラーメンが中国を連想させ、その中国ではブタが「繁栄(多産だから)」を象徴するものだったからです。

 商品第一号の「北京ラーメン」を発売した翌年には「エースラーメン」が大ヒットし、それを受けて「エース食品」と会社名を変え、さらに料理のプロである「コックさん」を付け加え「コックのエース」という意味も持った「エースコック」にブランド制定しました。昭和38年に流れたCMはこぶたマークと共に全国に浸透し、そのときに誕生した四代目こぶたマークが、今も「エースコック」の顔として使われています。

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東洋水産というとピンとこない人も多いと思うが「マルちゃん」といえば「ああ!あのマルちゃんね」とすぐ思い当たるだろう。

 

 昭和28年に「横須賀水産」として森 和夫が築地に創業したのが始まりで、魚肉ソーセージなどの水産加工品を扱っていた。そんな会社がなぜ即席ラーメンで有名になったのか。

 

それは、日清食品が「チキンラーメン」を発売して以来のインスタントラーメンのブームをいち早く察知し、市場に乗り込んだことにあるだろう。昭和31年には「横須賀水産」から「東洋水産」に社名を変更し、昭和36年に第一号即席めん「マルト味付ラーメン」を発売する際には、商標兼屋号である「丸の中に『と』」をブランドマークとした。しかし、もっと覚えやすく親しみやすいブランド名とマークを・・・ということで考え出されたのが「マルト」に由来した「マルちゃん」というブランド名と、「ハッピースマイル」と呼ばれ、現在まで変わらず親しまれている「丸の中に可愛い笑顔」のブランドマークがが開発された。

 

現在3代目だが、初代だけ「マルちゃん」というブランド名は併記されておらず、2代目マークで併記されるようになってからは、ますます「マルちゃんマーク」が定着していったようである。

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創業者の奥井清澄は、昭和24年に出資者を募って「協和食品」という会社を興し、めん産業に乗り出す。しかし翌年「明星食品」に変えた。これは奥井が創業した地が明星台と呼ばれていたからで、大正時代に高い理想を掲げた教育者がその地(東京武蔵野市)に「明星学園」という学校を開いたことに由来する。「協和」にもちゃんと意味はあったのだが、「明星」の方が夢があるということで変えたようだ。

 最初に制定したマークは、事業がまっすぐ伸びるようにとの願いを込めて「三本杉に星」だったが、昭和35年に初の即席ラーメンを扱ったときに「鶏がら」をイメージしやすいよう「ニワトリマーク」に変えた。「ニワトリマーク」はその後少しずつ修正を加えながら現在まで使用されている。

 業界第三位の優良企業である明星食品の商品は、世界中で冒険や登山の際の食料として人気があり、災害時の救援物資としても活躍している。

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日清食品は昭和33年に世界で始めて「チキンヌードル」というインスタントラーメンを作り、昭和46年にカップヌードルを生み出し、世界中にインスタントラーメンを広め、定着させました。

 

他社製品のカップ麺でさえ、「カップヌードル」と呼んでしまう位、名称が浸透しています。ラーメンを宇宙食として開発し採用されたのも記憶に新しいですね。

 

創業者の安藤百福は戦後の食糧難のなか、どうにかして安くておいしく手軽に食べることができるラーメンを作れないものかと考えていました。その後研究を重ね「瞬間油熱乾燥法」というインスタントラーメンの基本といえる製造法を発明し、その方法で「チキンラーメン」を創りだしました。

 

「日清食品」という社名は、チキンラーメンが誕生したその年に、創業者の安藤百福が「日々清らかに豊かな味をつくる」という志を込めて名づけました。マークもその時作られ、丼を表す丸の中に2本の箸を渡しその上にNSSを配したものです。

 

2代目のマークは新商品「カップヌードル」が発売された昭和46年で「地球」を表した円の中に「N」の文字がデザインされています。「N」は「NISSIN」の頭文字というだけでなく「NEW INDUSTRY(新しい産業)」「NOODLE(麺)」という意味が込められています。現在のマークは昭和58年に創業25年を迎えたことを記念して制定されたものです。

続きを読む≫ 2009/05/15 21:46:15

明治屋の創業者である磯野計はフロンティア精神に富んだ人間であったようです。

 

東大法学部を出、弁護士という職業に就いていましたが、民間企業を起こすのが夢で、三菱グループ創始者の支援を受けつつ商業の実務を学びました。そして明治18年、「明治屋」を創業します。

 

当時食料品商は商売の中でも賤しいものとされていたにもかかわらず、「商業に貴賎は無い」と食料品や雑貨を扱い、元号の「明治」をいち早く社名とし、食料品業の地位向上のために尽力しました。明治屋のローマ字表記を「MEIDI-YA」としたのは「JI」より「DI」の方が外国人には発音しやすいことを留学した時の経験で知っていたからです。

 

磯野計は、明治屋を創業する前は食料や雑貨を船舶で輸入するシップチャンドラーを行っていました。それは現在でも明治屋の基盤になっていて、本格嗜好の高級な食材を一般家庭の食卓に運んでいます。社章は磯野家の家紋である「子持ち亀甲に三ツ鱗」を基にデザインされ、「三ツ鱗(スリー・ピラミッド)」と呼ばれています。

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